日々思うことを、気まぐれに書き記しております・・・。         また、旅行記も書いたりしています。どうぞお楽しみください。

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限りなく透明に近いブルーを読み終えて

読み終えた後に身震いするような気持ちになりました。こんな体験はそうそうあるものでもないとおもいます。

ってなわけで、以下、ネタばれあります。いやな人は今日の記事は飛ばしてください。




最初から最後まで、描かれるのは主人公とその仲間たちの麻薬や乱交パーティなどの破天荒な生活の風景だ。
そんな、一言で言ってしまえば、「しょーもない」行いが、どこか距離感のある、醒めた視点で描かれていく。
腐敗した食物、昆虫の体液、吐瀉物、流血、精液など、普通、目を向けることさえ憚られるようなものばかり描写されているのに、この作品が新人賞を受賞した際の選考委員達は揃ってこの作品を「清潔」と評したそうだ。私はこの評に大いに共感する。なぜかというと、この作品は、汚物の類ばかりを描きながら、その描き方は常に単純に写真のように「描写」することのみを目的としていて、そこに全体性や、意味性を付加することがないのだ。それにより、逆説的にその文体はどこか静かな清潔さを手に入れているのだ。
そして、その傾向はクライマックス付近の、主人公が激しい幻覚に襲われる場面で最高潮に達する。現実に存在する女性の顔や、部屋の風景が、どんどんと現実性を失っていき、ついには完全に全体性、意味性を失った単なる部分の集合へと崩壊(ゲシュタルト崩壊)してしまう。
しかし、ここで今度は、主人公の体験する幻覚の世界が、これまでこの作品の中ではほとんど感じられなかった意味性や全体性(言い換えるなら物語性)を、生々しい蠢くような感触とともに生じ始める。
例えるなら、私は、ここまで静寂の支配していたこの作品の物語世界が、ここのあたりで突然、ぎりぎりと軋むような不協和音をたてながら動き始めるような気がしていた。

そして、主人公はその幻覚の中で、窓の外の空を覆う、巨大な黒い鳥の存在に気づき、戦慄するのだ。

幻覚から醒めた主人公は思う。自分たちはいつだってこのわけのわからない巨大な黒い鳥に飲み込まれ、その中で生きているのだと。そしてそれは死ぬまで続くことだということを。
しかし、そのことに気づいた主人公は同時に、自らのそばに常にあり、その中に包まれていた、美しい存在のことを自覚する。そして自らは「限りなく透明に近いブルー」となり、その美しい存在を映し、他に人々に見せることのできる存在になりたいと願う。





読み終えた瞬間、あまりに共感する部分が多く、今までどんなに頑張って伝えようとしてもうまく伝えられなかった色々なことが、こんなにも鮮やかに伝えられてしまうことに、嬉しく思いながらも、愕然としました。
メッセージと物語、そして文体。それらが見事にそれぞれの関係性から意味を生み出し、一つの作品として結実させることのできる一つの証明として、私にとってこの作品はこれから深い意味を持った作品になると思います。





「とにかく今何もしたくないんだ、やる気みたいのがないからなぁ」
「昔はいろいろあったんだけどさ、今は空っぽなんだ、何もできないだろ?からっぽなんだから、だから今はもうちょっと物事を見ておきたいんだ。いろいろ見ておきたいんだ」
    ―作中のリュウの台詞より―
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秋空のさわりごこち

秋空の雲は美しい。

優しく、どこまでも透き通った青色をした大きな空のキャンバスの上で、
秋空の雲は、幾千もの滑らかな曲線と白色の濃淡を描き出します。
大きな箒で空を一掃きしたようなその造形は
力強く、ダイナミックで、それでいて細部まで技巧的とさえいえるほど繊細に描き出されています。
また、それらは眺めているそばからゆっくりと形を変え、
差し込む日の光も夕暮れの時刻が近づくにつれ、刻一刻と色調を変えていきます。
家の窓際に置かれたベットに寝そべって、昼下がりと夕暮れの合間の時間をぼんやりと眺めながら、
そうやって様々に変化していく空の表情に、思わず見入ってしまいました。


この季節の空気は、軽やかで、繊細な感触がして、気持ちがいいですね。

大都会、君の隣で。

にぎやかな夜の大都会を歩いて思う。

こんなにも夜を明るくして、騒がしくして、

きっと、夜の持つ寂しさや怖さとかを追いやろうとしているんだろうと。

そして、そうやって追い出してしまったからこそ、

この街では一日中いつだってなんだか寂しい気がするのかな。

夜に集約されていたはずの濃密な恐怖が、

引き伸ばされて、常に希薄にただよう寂しさになる。



こんな街だから、私は歩くときにいつも、
なんだか難しい、引きつった顔になってしまいがち。

でも、

そんな気がするからこそ、私は笑顔でいたい。
隣にいるあなたの気持ちが、少しでも和らぐような、
そんな笑顔でいられる人になりたい、かな。


やっぱり、もっと強くなりたい。

むだばなし

今日、旅行中にたまった洗濯をいっぺんに済ませました。
脱水のすんだ洗濯物を抱えてベランダに出ると、風からは金木犀の匂い。
ああ、もうそんな季節なんだ、と、秋の到来をしみじみと感じて、
こんなクソみたいな都会のマンションのベランダにまで季節の便りを届けてくれた律儀な花のことに思いを巡らせて、少し感謝しました。






花が咲く、花が散る。
葉が茂り、紅葉し、やがて散る。
春が来て、夏になり、秋が過ぎ去り、冬になる。
そして、繰り返す。


時の流れ。


髪が伸び、つめが伸び、
僕らはだんだんと年ををとる。



今日は昨日になり、そのうち遠い過去の彼方へ。


記憶は薄れていく。

過去は生々しい色彩を失う。


どんなに大きな重い苦しみも、空へ飛び上がれるほどの喜びも、
やがては薄れて思い出の中の1ページ。



どんなに大切な想いだって、
そういえばそんな風に思ってたこともあったなー、
なんて。



そして、約束は嘘に、信頼は裏切りに。


時の流れは残酷なんだろうなぁ。






このブログ、意味わかんないですか?
原因は、分かってるんです。
私がここで書く文章には、確実に欠けているものがある。
それは、具体性。
「物事を描くとは、接近し、切断することである」
とおっしゃった先生がいらっしゃいました。
この言葉を借りるなら、
私は対象に接近も、切断もせず、型を取るようなことばかりしているんです。
だから、私が差し出すものは、その抜け殻。
多くの場合、私がここで書くのは、私自身の心の動き。
つまり、似たような感情を経験したことのある人なら、ジグソーパズルのように楽しむことができるかもしれないけど、そんな人のほうが少ないと思います。
だから、意味わかんないほうが普通なのかもしれません。
それでも、もしこのブログを少しでも楽しんで読んでくださる方がいらっしゃるとすれば、それはこんな乏しい内容についてではなく、その抜け殻の質感、とでも言えるようなものに対してなんじゃないでしょうか。直接的な言い方をするならば、言葉遣いがなんとなく好き、といった具合に。

伝えたいこと、きっとあるのにな。
こんな言葉じゃ、伝わらない。



無駄話、以上。

ただいま、日本。

今日(昨日のほうがしっくりくるかな?)、14日間のヨーロッパ旅行から帰ってきました。行き先は、イタリアとフランスです。

ありがとう。ほんとうに、いい経験をすることができました。
旅行先の文化の様々な片鱗に触れて、たくさんのきれいなものを見てきました。

旅行記を書いて掲載してもただ冗長になるだけだと思ったので、とりあえず今はやめておきます。
今回の記事の最後に旅行の行程を書いておきますので、もしどこかの感想とか聞きたい人がいらっしゃいましたらコメントででもリクエストしてくれれば、お話ししますね。
あ、でも、所々書いたら投下するかも。そこらへんは未定です。

えっと、まず、一緒に旅行に行った5人、本当にありがとう。
なんだかんだでほんと楽しかったです。今回の旅行はきっといい思い出になると思います。


ここからはちょっとした世間話。

今回の旅行、充電できないの分かってるのにipodを持っていきました。結局電池残量が気になって向こうにいる間はまったく聞かず、完全に無駄したなー、とか思っていたんですが、
帰りの飛行機、あと30分、もうすぐ日本に到着する、というところで久々にipodの電源を入れました。そして、ホイールをくるくる回して、
  『Let Down』 Radiohead
飛行中の風を切るノイズの中聴き始めた瞬間、やっぱり持ってきてよかったな、と思いました。
万華鏡のきらきらめぐるようなノスタルジックな音に包まれて、この14日間の思い出がきっとかけがえのないものになることが、はっきりと感じられました。曲を聴きながら、14日間を思い出としてきれいにラッピングしていくような感覚です。
さらに数曲聴きながらこの旅行を思い返し、最後に、
  『Race For The Prize』 The Flaming Lips
きれいにラッピングした思い出を虹色に彩って、耳からイヤホンをはずしました。


もう一つ小話。

そういえば、成田を発つときは夕方で、帰ってきたのは夜だったんです。なんだか、今回の14日間はその間のたった数時間のことだった、なんて考えてみたり。要するに、なんだか夢の中の出来事みたいなのかも、良くも悪くも。



以下、日程表。
一日目(ローマ)
6時35分にフィウミチーノ空港到着。レオナルドエクスプレスでローマ入り。
コロッセオ→フォロ・ロマーノ→カンピドーリオ広場→ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世記念堂→真実の口→パラティーノの丘→カラカラ浴場→サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会→サンタ・マリア・マッジョーレ教会
二日目(ローマ)
サンマルコ広場→サンピエトロ大聖堂→サンタンジェロ城→ナヴォーナ広場→パンテオン→サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ教会→ジェズ教会→フォロ・トライアーノ
三日目(ローマ)
ヴァチカン博物館→ポポロ広場→サンタマリア・ディ・モンテサント教会(双子教会)→買い物しつつ移動→サン・カルロ・アル・コルソ教会→スペイン広場→トレヴィの泉→骸骨寺→サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会→ディオクレツィアーノの浴場跡
四日目(フィレンツェ)
早朝にユーロスターでフィレンツェ入り
中央市場→アカデミア博物館(ダヴィデ像)→サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場→ドゥオーモ→シニョリーア広場→ヴェッキオ橋→パラティーノ博物館(ピッティー宮)→ウフィッツィ美術館
五日目(フィレンツェ)
メディチ家礼拝堂→ジョットの鐘楼→ドゥオーモ(クーポラ)→サンタクローチェ教会→ミケランジェロ広場→サンタ・マリア・ノヴェッラ教会→サン・ロレンツォ教会→蚤の市を見て回る
六日目(ヴェネツィア)
午前中にユーロスターでヴェネツィア入り
サンマルコ広場→サンマルコ大聖堂→広場でお茶(カフェ・フローリアン)→サンタ・マリア・ディ・ミラーコリ教会→サン・ジョバンニ・エ・パオロ教会→ゴンドラ→リアルト橋→魚市場の前で夕食
七日目(ヴェネツィア)
アカデミア博物館→サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会→サン・ロッコ教会→サン・ロッコ大信徒会→ドゥカーレ宮→鐘楼→サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
八日目(ミラノ)
午前中にIC(インターシティ)でミラノ入り
ドゥオーモ→ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世のガッレリア→スフォルツェスコ城→サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(最後の晩餐は見れず)→サンタンブロージョ教会
九日目(ミラノ)
レオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館→ブレラ絵画館→ヴァカルディ・ヴァセッキ博物館→ポルディ・ペッツォーリ美術館→スカラ座博物館→サンタ・マリア・プレッソ・サン・サティーロ教会→アンブロジアーナ絵画館→ナヴィリオ運河
十日目(パリ)
早朝に夜行列車でパリ入り
ヴェルサイユ宮殿→ノートルダム大聖堂→エッフェル塔
十一日目(パリ)
サント・チャペル→シャンゼリゼ通り→凱旋門→ロンシャン競馬場(凱旋門賞観戦)→オペラガルニエの付近で夕食
十二日目(パリ)
ルーブル美術館
5時45分シャルルドゴール発

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